甘い罠と絶望とせいろ

短編小説
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- 甘い罠と絶望とせいろ -

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「焼いた方が美味しいって、じゃあ自分で作れよって話なのよ」

 休憩室からそんな声が聞こえてきて、俺は煙草を吸いに行こうとしていた足を止めた。

 月上さんの声がする。しかもどうやら愚痴のようだ。

「蒸し料理って楽ですもんねぇ」

「ほんとそれ。野菜も切って入れるだけ。お肉も包んで入れるだけ。朝に下処理をしておけば、仕事終わって帰ってきたら、せいろに入れて蒸すだけ。蒸してる間に他のことできる」

 棚の整理するフリをして、休憩室入り口のすぐ横の倉庫から聞き耳を立てる。

 料理の愚痴だろうか。月上さんが作った料理なら、蒸されていようが焼かれていようが焦げていようが、きっと美味しいに違いないと本気で思う。

「でも味付けのバリエーションなくないですか?ポン酢か胡麻だれか、みたいな」

「そう思うじゃん?これがさ、チキン南蛮とかも作れちゃうのさ。あとビビンバとか」

「おぉ、チキン南蛮」

「そう」

「しかもビビンバも」

「そうなの。凄くない?」

 月上さんと話をしているのは、俺の4つ上の先輩の男性社員だ。

 だが問題ない。夜渡さんは既婚者だ。奥さんがいる。以前に写真を見せてもらったが、月上さんとは全く別のタイプだった。

 けれど、あのように月上さんと料理の話で盛り上がることができるのは、この上なく嫉妬心を煽られる。

 俺は料理ができない。できないことはないと思うが、作らない。

 自分だけのために作ろうなどと思えるはずもない。

「でも、確かにどっちも焼いて食べたいですね」

 いや、賛同しないんかい。

 そこは「蒸しチキン南蛮なんて美味しそうですね」だろう。

「それなら焼肉屋で石焼ビビンバでも食ってろって話よ」

「まぁ作らない人が文句言う筋合いはないですよね」

「そう、そこ。こっちはどこまで効率的に家事ができるかを追求し続けてるんだから」

 そんなことを常日頃考えているから、この人はあんなにも仕事ができるんだなと納得する。

 それでもたまにミスをして俺を頼ってくるから、いつまでたってもこの沼から抜け出すことができないのだ。

 咳払いをする。

 ミスをして別の人に助けを求めることなど、仕事上ではよくある話だ。俺だってよくするし、月上さんが俺以外の人に助けを求めている場面はよく見かける。

 俺だから、ではない。そこを勘違いしてはいけないのだと、自分を戒める。

 ふと、足元に置かれていた荷物に目が入る。

 またこの20kg近い荷物が邪魔なところに納品されている。迷惑だから別の場所に置いてくれと業者に言っているのに、未だに改善されていない。

 何とかその無駄に重たい荷物を持ち上げながら、月上さんがこれを運んでいた時のことを思い出す。

 当然持ち上げることはできないから、あの人は1人で必死に押し運んでいるのだ。

 その光景が何とも面白いから、いつもそのまま後ろ姿を見つめている。

 男の社員なんて沢山いるのだから、一声掛ければいいだけだろうに。

 男社員ばかりだから、余計に自分の女性としての非力さを見せたくないのだろう。

 けれど結局段差のあるところは持ち上げられないから、倉庫の手前の階段のところに置きっぱなしにするのだ。

 そうしてその場を偶然通りかかったふりをする俺に、「これ、中入れといて」と言う。

 わかっている。俺だからではない。通りかかったのが俺でなかったとしても、月上さんは同じように言うのだろう。

 そんなことに無駄に嫉妬心を煽られていたら、思わず手を滑らせる。

 重い荷物が近くの物を巻き込んで勢いよく床に落ちて、やたら大きな音が辺りに響き渡る。

「宙原、大丈夫?」

 音を聞きつけてこちらを覗き込んできたのは夜渡さんだ。

「すみません。大丈夫です」

「手伝おうか」

「いや、大丈夫です」

 そう遠慮しているうちに、夜渡さんはさっさと片付けを終わらせる。

 おかげでせっかくこそこそ隠れていたというのに、俺も休憩室に入る羽目になる。

 スマートフォンを見ていた月上さんと目が合う。何を考えているのかわからない瞳が、少し上目遣いで俺を見ている。

「凄い音したけど」

 女性的と言うには少し低めの月上さんの声が、耳から全身に反響していく。

「すみません。お騒がせしました」

 なんてことないように答えるけれど、少し緊張してしまったのがこの人には伝わってしまうだろうか。

 月上さんの視線が逸れる。スマートフォンの方へ顔を戻した彼女は、そのまま口を開く。

「宙原さんはさ、どう思う?」

「何がですか」

「蒸しチキン南蛮」

 どきりとした。

 何が最善の答えなのか、一瞬にして頭の中で計算し尽くして、やはり先ほどと同じ答えに辿り着く。

「俺は…月上さんが作ったものなら、何でも美味しいと思いますよ」

 月上さんが俺を見て、少し意地悪な笑みを浮かべる。

 言ってしまった後に気が付く。これでは、盗み聞きしていたことを白状したようなものではないか。

「だよねぇん。やっぱり旦那にも、そういう気概を持ってもらわないとだよねぇ」

 あぁ、最悪だ。

 やっぱりこの恋物語は、どう足掻いても暗闇と絶望でしかないのだ。

 - 甘い罠と絶望とせいろ - 終


最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。

館長の傘花と申します。

本作に登場したせいろは、実際に私が使用しているものをモチーフにしています。

最近は本当よくSNSで登場しますね。

2、3品一気に作れてしまうし、蒸し始めたらそのまま放っておけるし、ついつい長く蒸してしまっても殆ど問題ないので、とても便利な調理器具です。

「油で焼かないからヘルシー」なんて謳い文句もよく聞きますが、個人的には使い分けも重要かなと思います。

焼きならではの焦げも美味しいですもんね。

ご興味がある方は是非こちらをご覧ください。

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