- カクテルとカウンターチェア -
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「マスター、ジンバックとモヒートちょーおだいっ」
バーのカウンター席に突っ伏していると、先輩女性社員の星野さんのそんな声が聞こえた。
「はーい。何?後輩くん、もう潰れてるの?」
「ううん。絶望に打ちひしがれてるの」
「なにそれ」
顔を上げる。気の毒そうな表情を見せるマスターと、心底面白そうな顔をしている星野さんの姿が目に入る。
「後輩くん。そういう時は飲んで忘れた方が良いわよ」
「いやぁ、こいつは暫く絶望しておいた方が良いよ。どうせ懲りないから」
黙っていれば、随分と好き勝手言うものだ。けれど反論する気力もなくて、俺は再び額を机に付ける。
「なになに。何があったの」
初めは本気で心配そうにしていたマスターも、いつの間になら野次馬精神に乗っ取られているではないか。
「マスター、この椅子、かっこいいっすね」
だから俺も、わざとらしく話を逸らす。座っていたカウンターチェアでくるりと一周してみて、けれどやはり立ち直れずに机の上に脱力する。
「後輩くん、見る目あるわねぇ。この椅子、いくらしたと思う?」
「んー、2万くらいですか?」
「残念!7千円!」
「マスター、もうちょっと安くないと驚かないよ」
星野さんの言葉に心の中では賛同しながら、こういう場での最適解を考える。
「でもかなり高見えしますよね。皮だし、シックでかっこいい。俺は滅茶苦茶好みです」
「そうでしょ?後輩くんはどの色がお好み?」
そう聞かれて、カウンター前に並ぶチェアを見回す。
俺が座るのはオリーブ色、星野さんが座るのはブラック色だ。店内に入ってきた時に、マスターにこの座席を案内されたのだ。そして、カウンター内に置かれたマスター用のチェアもオリーブ色であるその意味を考える。
「オリーブ色、良いですね。この色味、凄く好きです」
「あらやだ。あたし、後輩くんと気が合うかも」
「マスター、あんまりこいつの言う事を真に受けない方が良いよ。結構テキトー言ってるから」
机にカクテルの注がれたグラスが置かれる。
どちらを頼んだ覚えもないのだが、有無を言わさずジンバックを星野さんが手にとって、俺の目の前にはモヒートが差し出される。
「ほら、飲め。好きでしょ、モヒート」
「別に好きじゃないっすよ」
「うん。月上さんが、好きでしょ。モヒート」
あぁ、もう、この女は本当に。
心底苛立ちながら星野さんを睨みつけて、腹いせにモヒートを一気に飲み干す。
「なぁに?恋愛絡み?後輩くん、失恋でもしたの」
このマスターは、見た目は筋肉隆々だが、中身は随分女性的だ。
今日は昼過ぎからあからさまに落ち込んでいたから、星野さんが行きつけだというバーに誘ってくれたのだ。
店構えも内装の雰囲気もとても良くて、居酒屋好きの星野さんにしては随分とお洒落な店を知っているのだと思っていた。
マスターの人間性を見ていると、星野さんがこの店を行きつけにしている理由がよく分かる。
「失恋、まぁ、失恋。でもこいつの場合、恋が始まる前から失恋してるから」
「それはそれは深い事情がありそうね」
「深くは、ないなぁ」
「本当に何があったのよ」
星野さんがちらりと俺を見る。最早話す気力もない俺の代わりに、星野さんが返事をする。
「もう何もかも負けた感じ?」
「負けた?誰に?」
「旦那に?」
マスターがわざとらしく両手を口に当てる。
驚いているというよりは、喜んでいるような表情だ。
「やっだぁ。後輩ちゃん、人妻に恋しちゃってるわけ?」
「でさ、今日の午前中、職場に来てたの。月上さんの旦那さんが。ねー?」
「どう?戦った?」
戦う前に戦意喪失したから、このざまなのだ。
男として、全てが負けている気がした。色男さ、という意味ではまだ勝ち目があったように思えたが、それだけだ。顔面の良し悪しなど誤差としか思えないほど、勝ち目のない勝負だった。
男らしい筋肉質な体付き、身長もそこそこ高くて、見た目に強さと優しさが滲み出ている。
噂によれば、年収もそこそこ良いとかなんだとか。
正直なところ、月上さんの夫は俺にとってはずっと架空の人だったのだ。
存在することは理解していても、存在していないかのような感覚。
それが今日、目の前の現実として突き付けられた。
思い出せば出すほど、立ち直れなくなりそうだ。
「マスター、モヒートおかわり」
空になったグラスを差し出して、俺はそう言う。
「あら、やけ酒」
「飲んで忘れるんで」
「ねぇ」
すぐにモヒートをグラスに注いでくれたマスターは、それを俺に渡しながら言葉を続ける。
「モヒートのカクテル言葉って知ってる?」
「カクテルにも意味があるんですか?花言葉みたいに?」
それは初耳だ。お酒はよく飲む方だが、そんなことを聞いたことも気にしたこともなかった。
「そう。どこかで聞いたことないかしら」
「ないですね」
「モヒートのカクテル言葉はねーーー」
マスターが俺の方へと近寄ってきて、耳打ちをする。その言葉に、体の内側からぞくりとした欲望が襲いかかってきて、俺は大きな溜息をつく。
「なになに?モヒートのカクテル言葉って何?」
星野さんが身を乗り出すようにそう聞くが、マスターは人差し指を唇の前で立てるだけで何も言わない。
「いいじゃん、教えてくれたって。いいよっ。自分で調べるからっ」
星野さんがスマートフォンを取り出す。その横で俺は暫くモヒートを眺めて、そして再び一気に飲み干す。
月上さんがモヒートが好きだと話したのは、以前に職場の飲み会をした時だ。
隣に座っていたあの人は、酔っ払っていることを言い訳に、俺の肩を掴みながら楽しそうに笑うのだ。
一番好きなカクテルは、モヒート。
ーーーモヒートのカクテル言葉はね。
『私の渇きを癒して』
- カクテルとカウンターチェア - 終
最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。
館長の傘花と申します。
本作に登場したカウンターチェア、実は我が家にあります(笑)
1つあるだけでおしゃれ感が出て、個人的にはとてもお気に入りです。
高さ調節もできるので、幅広く使えるなという印象です。
比較的軽いので移動も簡単です。軽い分倒れやすくもあるので、小さいお子様が使う場合などは注意ですね。
ご興味がある方は是非こちらをご覧ください。
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